ほころび 日記−1  新しい順

No.1 No.2 No.3
18年5月18日 体育館  No.80
 小学校のふれあい音楽会に出席するため、予行演習に体育館に行った。子供たちが卒業してから20数年ぶりに体育館に入り、演奏練習をした。幼稚園の子供たちの可愛らしい身振り手振り(手話)の歌声に、思わず頬がゆるんだ。学校の匂いをかぎ、小さな子供たちからエネルギーをもらった。
18年5月15日 終わった  No.79
 昭和56年から続いているOB会が無事終わった。新緑に包まれた山あいの宿で温泉
につかり、ゆったりのんびり語り合いながら、一夜を過ごした。皆年老いているが、かってはバリバリ働いていた先輩の方々、寄る年並みにはかてず、働いていた時の面影はなく老人になっている。何れ私もその仲間入りかと思うと寂しい気持ちがするがこればかりは仕方ない。
18年5月5日 こどもの日  No.78
 こどもの日お宮参り&初節句をかね、玉津島神社にいきご祈祷をうける。家族全員で記念写真をとった。幸せな時間をすごした。平凡ながらこう言う幸せに感謝し、孫が健康でスクスクそだってくれることを祈った。
18年4月23日 リーダシップ  No.77
 人にはそれぞれ短所長所がある。リーダシップをとり、人の為に活躍したい人がいてもいいではないか。人それぞれ考え方も違って当然と思うが、意見が同じでないと、快く思わない人もいる。人は難しい、揉め事、争いごと、噂話等いやだ、いやだ。まあるく、まるく
いきまっしょい。
18年4月20日 突入  No.76
 高齢者の在宅介護を担う65歳以上の介護者の3割が死んでしまいたいと、感じる事がある事が、アンケートでわかったようだ。 {死んでしまいたいと感じることがあるか}65歳以上の介護者29〜32%ある。介護者の半数以上が一人で介護している。老老介護となっている。うつ状態と疑われるのは、4人に一人で特に55才〜74才が高いそうである。{すべてを面倒に感じる}人は68%と高い。医療が発達し食生活が良くなり、生活習慣病がふえている。人の寿命がぐんぐん伸び核家族が進み、子供に頼る時代は過ぎた。ころころと医療保険の内容も変わり、医療費も2割から3割にあがり、この先安心して診療と介護が受けられるのだろうかと思う。不安である。取り越し苦労ばかりする。
18年4月19日 地震  No.75
 人と防災未来センター にいってきた。パネルや映像を見て当時の事を思い出し涙が出そうになった。その日私は勤務中だった。{咽もと過ぎればあつさ忘れる}じゃないけれど、常日頃から防災に対しての心構えが必要だと思った。神戸の姉宅は幸い家の被害は免れたが、インフラがすべて止まってしまい暫く我が家に身をよせた。その当時神戸大学の留学生のホームステーイをしていた。留学生もこれほど大きな地震にあった事はなく、泣いていたらしい。大勢の人達の尊い命が亡くなった。10年経ちあらためて犠牲になられた方々を思い、当時のおもいにふけった。
18年4月11日 未払い  No.74
 病院での治療費の未払い者が増えているようだ。医療改革で重さがまし、医療費負担に耐え切れない人や、失業者や、無保険者だけでなく一定の会社員にも払えないひとが広がっているようだ。ソーシャルワーカの人は(年収300万以下の世帯で病気になると、生活保護世帯よりも大変なことになる)と言っている。我がしらさぎ家も年金世帯なので、年金者になってみると、他人事ではなく病気になるのが恐ろしい。入院でもするような事になると、生活が苦しくなるだろうと、夫に話した。健康って本当に大切だと痛切に思う。
18年4月10日 介護保険  No.73
 00年度に介護保険がスタートした。介護保険料は3年ごとに自治体がみなおすそうだ。
改定された65才以上の人が納める介護保険料の格差がひろがってきているよう。
スタート時の全国平均は2911円、03年改定時は3293円、06年度は4090円、神戸市はなんと36%アップで4694円、これに国民保険料をはらい、さて姫路市は?互助の精神で65才になると、低所得者だろうが、なんだろうが、強制的に徴収される。
互助の精神が生かされる介護保険であってほしいと思う。65才になりたくなーい。
18年4月8日  診療報酬 No.72
 4月1日より診療報酬改定により、私の場合、毎週リハビリに通っているクリニックでの治療費が、1回140円安くなった。患者側にとっては安いほうが助かる。助かるが喜んでばかりではいられない。免疫学の多田富雄氏はこの3月リハビリを受けている病院から突然(今回の改定で医療保険の対象としては一部の疾患を除いて障害者のリハビリが発症後180日を上限として実施出来なくなった)と宣告されたそうである。多田氏は脳梗塞の後遺症で、重度の右半身麻痺と言語障害嚥下障害があり、食べ物も満足に食べられない。発症から4年経過しており、当然今まで受けていたリハビリが受けられなくなる。身体機能はリハビリを少しでも怠ると瞬く間に低下する。それ以上機能が低下しないよう不自由な体に鞭打って、苦しい訓練をしている人達を180日で切ってしまっていいはずがない。なのに改定にて訓練を受けられなくなる人が、ある病院では8割の人がリハビリを受けられなくなると言う。身体機能の維持は、寝たきり老人を防いで、医療費を抑制するはずなのに、なのに今回の改定によって、一番弱い立場にある障害者の人に180日と言う期限を付けるのかと、腹立たしい気持ちになる。生身の体、何時どのようになるかわからない、人ごとですませていいのだろうかと強く思う。
18年4月7日 しりもち  No.71
 裏山の所々にツツジが淡いピンク色の花を咲かせ目を楽しませてくれる。
山に入ってツツジを写そうと思い立ちツツジをめがけて登った。今の時期下草が生えてない為、上の方まで良く見えるが落ち葉が多く滑りやすい。裏山だからと簡単な気持ちでキャラバンシューズをはかず登った。ところが落ち葉に足をすくわれ、ものの見事に
尻もちをついてしまった。そして写真は撮ったものの出来映え悪し。
18年4月4日 水ぬるむ  No.70
 冬の間池のゆるがはずされ水は抜かれ干しあがっていたが、数日前から池に水が溜まり始めた。水が溜まってくるとどこからとも無く水鳥がやってきて遊んでいる姿を見かけるようになった。そういえば午前中にいでの清掃をしている村の人を見かけた。
いでの清掃後は水草やごみが取り除かれ水の流れがよくなり池に水が溜まっていく。
そして田植えの時期から池の水の活躍が始まる。

家のまわりの桜はまだ咲いていない。我が家にも6年ほど前に桜の木を植えた。サクランボが生る木と説明。ところがサクランボどころか花さえつけない。シビレきらし(もうきってしまうよ)と心で叫びながらも(もしや来年花が咲くかも)と思い、思い、桜の花が咲くのを心待ちしていたが、今年もやはり振られてしまった。

園芸店に行った。色々の花が咲き見ているだけでも楽しい。トマトの苗6本草花も買った庭の隅にある小さな小さな菜園、冬植えたブロッコリーが今実?をつけている。実?と言うのかどうかわからないが、枝?わき?から小さい実?が沢山でてきている。
とって食べられるのだけれど、いまは鑑賞中なり、初めての経験で実が?生るのって嬉しい。さあさあトマトの苗を植えるため土を耕そう。
18年4月2日 寿し  No.69
 久しぶりに回転寿しに行った。(ナレソレ)と書いてあるメニューがある。夫に小さい声で
(あれって何の魚)と聞くが我が夫も(知らん)と言う。
職人さんにたずねようと思ったが黙っていた。回ってきた寿しの中に(ナレソレは穴子の赤ちゃんです)と説明されており、のりでご飯を巻きその上に穴子の赤ちゃんがのっている
赤ちゃんがのっているナレソレは食べられなかった。
18年3月31日 説明  No.68
 風が冷たい。ウオーキング中小川で子供の声が聞こえてくる。網で岸べりを突いている。長靴を履いているがズボンのすそはぬれている。(寒くないの)と声をかけると(そんなに冷たくないよ)と女の子(なにがとれる)(ヤゴがたくさん取れてるでヤゴにアメンボにタニシシの赤ちゃんやで)と水にぬれ真っ赤になった手でタニシを手の平に乗せ説明し見せれくれる。私が間違って(ホタルの幼虫ってこんなんや)と言うとすかさず(ちゃうでトンボの幼虫でおおきくなってトンボになるんや)と男の子が今度は説明。春の小川は水が澄んでいて美しい。少しでも長くこの環境が保たれたらいいなーと思う。子供たちは春休みでおばあちゃんの家に来ているという。子供たちの生き生きした顔を見て嬉しくなり自分の子供の頃の遊びを思い出していた。

18年3月28日 よかった  No.67
 春休みでクラグ帰りの女子生徒たちとおしゃべりした。昨日は練習の途中道路でへたり込んでいる球児とも話した。家の前は通学路になっているので、生徒は毎日見かけるが、話しすることはほとんどない。が、学校帰りの生徒と会うと(お帰り)と声をかけるようにしている。生徒も(ただいま)と言う子もいれば黙っている子もいる。
気になっていた事を尋ねた。(いじめはあるの 無い 無いけどな先生にどつかれる生徒もいるんやでー なんでどつかれるの 生活態度が悪いからやろなー)なにはともかくいじめがなくて良かったと思った。クラブ活動の話をしてわかれさわやかな気持ち。
18年3月26日 遠征  No.66
 家の近くに太陽公園や高校の野球グランドがある。グランドは夜間照明が取り付けられている。本格的な球場ではないだろうか?と私は思うのだけど
春休みに入り四国や又関東地方からバス貸切で遠征に来る球児たち、親も大変だと思う。遠征費用が結構いるらしい。今日は熊谷ナンバーのバスが来ている。グランドでは監督さんの声に、(はい)答え機敏に動いている。はつらつとした態度が気持ちいい。 フェンスに巻きつくように、ツタの木が植えられていたが、一昨年雑草と共に刈り取られてしまったので、昨年又ツタを監督さんが植え水をせっせとやっていた。そのツタの木今は葉が枯れいるがきちんと根ずいている。(枯れないでよかったー)と思う。何十年か後には、フェンスにツタが巻きつき甲子園球場のよう状態になるのではと、想像するだけでも楽しい。フェンス全体に巻きついたらすばらしいと思うが、葉が生い茂り散歩中野球が見られなくなるおそれあり(そんな先のことまで心配しなさんな、生い茂るまで生きているかどうかわからんよ)とかすかに耳の奥の方から聞こえてくるような気がする。  
18年3月24日 条例改正  No.65
 姫路市火災予防条例改正により、すべての住宅に住宅用火災警報器の設置が義務付けられる事をご存知ですか?とリビング姫路に載っている。
新築は18年6月1日から、現在ある住宅は23年5月31日迄に設置が必要との事。そして
取り付ける場所は、寝室、子供部屋、老人などが就寝に使われている部屋も対象となるその他階段や廊下に設置が必要との事。
義務化に乗じて訪問販売などで強引に警報器を売りつける業者が出る場合もあるので気をつけましょう。消防職員のような服装で(消防署から来ました、今すぐ設置しなければ違反になる)などと偽って、強引に勧めるケースも考えられるとの事。訪問販売には気をつけましょう。警報器は購入後のクーリングオフの対象品目になっているので(おかしいな)と思ったら、すぐ消費生活センターなどに直ぐ相談をと。
機種は様々で規格品で1個6千円から1万円前後まで、幅がある。1箇所だけでなく数箇所取り付けなければいけないようで数万円必要になるようだ。こんな事知ってました?知らないのは私だけ、なにせしらさぎ姫で世間にうといものですから。ホホホ
18年3月23日 選挙  No.64
 17年度最後の教室。精勤賞をもらった。会計報告等がありその後18年度の役員選挙があった。選挙で私を含め4人が選出された。古い人がたくさんいるのにと思ったが、何れ役をしなければいけないのなら、早めにしておいた方が気が楽だと思いなおした。
とは言うもののなんとなく気が重い。まだ全員の名前も覚えてないのに、、、先ずは来年3月まで先輩の方達と協力して、教室を盛り上げて行こうとおもった。

18年3月22日 健診  No.63
 勤めている時は春秋と年2回職場で健康診断があったが、家庭に入るとそれが無い。公報を見ていて近くの公民館で市民基本健診があることを知った。早速健診に出かけた。初めて基本健診を受け健康手帳ももらった。基本健診+セット健診がある。セット健診は肺癌、大腸癌、前立腺癌、女性の場合は乳がん、子宮がん健診がある。
採決の結果は1ヶ月後、家に送られれくるらしいが、異常のある人には、保健センターから直接電話があり、早く診察を受けるようにとの指示があるとの事。やはり自らの健康は自分で守らなければならない。特に家庭に入ると健診を受ける機会がないので、これから毎年市民健診を受けなければいけないと思う。

その公民館に行こうとすると私の愛車がないではないか。夫が私に無断で乗って外出している。雨が降っているのに もう ムラムラと角が出かけたが、そうや歩いて行こうと
思い立ち、ウインドブーレーカ、腰にはウエストポーチ、手袋、運動靴、傘をさしテクテクと歩いた。子供たちは毎日歩いて学校に行っているんだもの。歩くのは健康のため、自分の気持ち一つで夫に角をださなくてすんだ。
18年3月19日 あなた  No.62
 舞台発表もすみホットしていると、教室の先輩が(年配の方)(あなた)と言ってご主人を呼ばれている。ドラマ等ではあなたと言う言葉を聞くことはあるが、私の身の周りには夫を呼ぶ時名前で呼ぶかまたはお父さんと言ってる人達が多い。
夫に(あなた)なんて言った事がない。聞いていてきれいな言葉だと思ったし品がある。あなたと言う言葉に結婚当初から憧れはあった。言ってみたいなと言う気持ちはあったが使わずじまいで終わりそう。今更あなたと言えば夫が耳を疑うだろう。ふふ
18年3月17日 着物 母  No.61
 着物を着て、発表会に出るそうな。久しぶりにタンスを開けた。樟脳の良い臭いがする
結婚するときに、タンスの肥やしにと言う事でウールのアンサンブルを作っていた。一度も手をとうした事がない。そのウールの着物を着ることにした。 やっと30数年振りに、日の目をみた。小物も揃っている、やれやれ、準備完了、後は当日心を込めて吹こう

 タンスを開けたついでに、たとーう紙を広げていたら、昔母が着ていた銘仙の着物が出てきた。 私が好きな着物懐かしい母との再会、その着物を見ていて、急にその着物を着て発表会に出たいと思った。私の子供の時は家が苦しいのにもかかわらず、
私の好きな音楽を習わすために、高松まで通わせてくれていた。病気になり歌う事を断念したけれど、よう通よわせてくれたと、今でも感謝している。そんな事を思い出していたら、この着物を着て母と一緒に音楽を楽しもう、きっと母も喜ぶだろう、1枚の着物を目の前にして楽しかった事、辛かった事などをお思いだし切ない気持ちになった。
でも、子供時代は楽しかった。本当に楽しかった。
18年3月13日 らしく  No.60
 久しぶりに孫を連れて一日遊んだ。普段は離れているため、孫の面倒を見る事は出来ない。今日は、食事や身の回りの世話をやき、ばあば、は、それらしく、ばあばを満喫したのであります。

 さすがは女の子。ママが赤ちゃんのおしめを替えていると、新しいおしめを渡したりお尻拭きも渡しているではないか、赤ちゃんが泣くと、よしよしと軽いタッチでたたいている
仕草がなんとも言えず可愛いい。ママと子の満ち溢れたこの幸せが、続いてほしいと思う。
18年3月10日 誕生  No.59
 2週間早く男の赤ちゃんが生まれた。私にとっては二人目の孫である。
(生まれるまで、性別は聞かないでおこうと思う)とお嫁さんが言っていた。なので、どちらが生まれるか、楽しみだった。上が女の子、下が男の子、五体満足に生まれ何も言う事なし。長男の赤ちゃんの時に良く似ている。元気にスクスク育ってほしいと、ばあば、は、思ったのであります。

18年2月27日 物干  No.58
 長年使用していた物干し台が根元からくさっておれた。それから数日後、今度はボイラーの調子が悪くなり、白い煙がモクモクと出るようになったり、ボソボソと言う音が大きくなり臭いもきつくなってきた。火事でもおきたら大変だと思い販売店に連絡した。
折り返し丁寧な電話があり、部品を取り寄せ修理してもらった。直ぐ何万円と費用がいる
機械も年数と共にあちこち傷んでくる。
そしてそして、洗濯機の調子が悪い。(脱水)(壊れないでー)と心の中で叫んでいる。
18年2月20日 頭巾  No.57
 横浜に住んでる甥の子供が今年小学校に入学する。
入学準備の中に防災頭巾が必要との事で、関西に住む母親に(私の姉)頭巾を縫ってほしいと依頼があったそうだ。洋裁が好きな姉も頭巾は縫ったことがない。
そこで(インターネットで頭巾の縫いかたを調べてほしい)とTELがあり
何も縫わなくても防災グッズで頭巾を売っているではないか。頭から足の先まで何でも揃う世の中だけど、姉は孫たちのために、愛情を込めて頭巾を縫って送ることだろう。昔は防空頭巾今は防災頭巾として、人の命を助けてくれる優れ物だと思う
18年2月16日 春物  No.56
 用事がありデパートに行った。用件を済ませファッション売り場に行ってみた。
もうどの売り場も春物ばかり、少し遠慮げに冬物も置いてあり、割り引かれている。
(今買っておくと割引してもらえていいんやけど)と思いながらも、自制したのであります。若い人の物はいくらでもあり、色デザインと豊富
歳がいけばいくほど地味になるようなので、せめて着る物だけでも明るい色で、そして気持ちも前向きに、生きられたらいいなと思った次第であります。
18年2月10日  かんの会  No.55
 昭和56年から毎年5月に一泊二日で元職場のOB会が開かれる。
OB会に出席する様になった途端、幹事役が回ってきた。名簿を見ていると、懐かしい人の名前が載っている。もう高齢になっている人の方が多い。亡くなっている人もおられる。高齢者の人が多いのでが、駅まで送迎してくれるところを探し、宿の予約をいれた。案内状を作って送らなければいけないし、何かと気がせく。
でも若い時一緒に働いた人との、再会が楽しみなり。
18年2月9日  確定申告    No.54
 今日は税務署から送られてきた申告書に解かるところだけをを記入し、確定申告に行った。勤めていた時は事務処理は庶務の人がしていたので、自分で申告する必要がなかった。職場を去ると自分で申告に行かねばならない。
おおぜいの人達が来ていた。申告することにより、少しだけ税金の戻りがあった。
なにせ年金者になると、給料と比べ年金は非常に少ない。なので少しでも戻りがあると言う事は嬉しいのです。でも寂しいな、おお嫌だ嫌だ、嘆いても仕方がない。

18年2月7日  雑巾    No.53
 寒いので外に出るのが億劫でおこたに入り古くなったタオルで雑巾を縫った。
私の子供時代から又子育てしていた時も、学校に雑巾を持っていくのは、新しいタオルで雑巾を縫い紐を付けて持たせていた。大抵の親がそうしていたと思う。雑巾を縫いながら10年程前の会話を急に思い出した。
職場で若いお母さんが(学校に持たせる雑巾を買うのを忘れた)と言っているのを耳に挟んだ。私・・ タオルで縫うのとちがうの 若い母・・ 今時そんな事するお母さんなんていないよ 私・・ そしたら古くなったタオルどうするの 若い母・・ 捨ててしまう 私・・ ええー 古くなったタオルは雑巾にする物だと思い込んでいたわ
若い母・・うそー 私・・ 雑巾なんてどこで売ってるの 若い母・・ 100円ショップやホームセンターで売ってるよ 私・・ そうなんや
今でこそ何でも簡単に手に入るし物が溢れ返っているが、はたしてそれが本当にいいのか、悪いのか、は別として(どんどん世の中が変わっていくわ)と実感した。
若い人と勤務していると(ほう)と思う事がよくあった。
18年2月3日  3世    No.52
 教室に日系3世の女の人を先生が連れてこられた。
オーストラリアに留学中だけど、休みを利用して母親と日本を旅行しているとの事。
その娘さんが言うには(母親とショッピングも出来るし女の子で良かった)と
もちろん私は何を言っているのか分からない。聞き覚えのある単語ぐらいしか
3世の人は日本語はできない、英語でしか会話出来ないようだ。
教室の人3世の人の質問に答えているではないか、通じているである。
私は話しかけられても、日本語でしか喋れない、悲しいかな あーあー 
無理か、いやいや少しずつ努力しょう、努力しなければいけない事が他にもあるのに怠け癖のついた人間がここにいる。
18年2月3日  インフルエンザ    No.51
 とうとう子供が(大人)インフルエンザに罹ってしまった。
会社から帰るなり(胸が痛いしんどい関節が痛い))と言う。体温測ると38.8℃
インフルエンザ?ではと思い医者に行く様に進めるも、(薬飲んで寝てたらなおる)行こうとしない無理矢理行かせた。案の定A型と判定が出た。
タミフル、抗生物質、その他薬のをもらってかえる。最高39.3℃悪寒あり
夫にうつらなければいいが、一寸心配なり
18年1月30日  景気  No.50
 自営業されていた家が人手に渡りその家族は去っていった。
年老いた親をかかえての移転は、辛いものがあったのではないかと思われる。
景気回復してきていると言われているが、身近にこう言う事があると身につまされるその人手に渡った家が今庭にはブロックが積まれ化粧直しがされている。
何事もなかったように、又新しい人が住み生活が始まる。元の住人は地域の人からもいずれ忘れられるであろうが、転居先で幸せであってほしと願わずにはいられない。
18年1月24日  歯の銀行  No.49
 歯の銀行が、じわり広がる と新聞に載っている。
親知らずで抜いた健康な歯を老後につかうために{貯蓄}しておく(歯の銀行)が広がりつつある。04年に広島大学初のベンチャー企業だそう。
昨年末までに保存数が千本を超えた。
自分の歯なので、入れ歯のような違和感などがなく、歯と歯茎の間のクッション役の歯根膜も残せるのが利点だそうな。広島大の施設で凍結保存。
費用は20年間保存で9万円。抜歯などの治療費や、保存後の移植費用を含めると総額20万円かかるそう。色々な事を考えるものだと、感心してしまう。
人工のものよりやはり自分自身のものを使うのだから、違和感なく良いのでは
ないだろうかとおもう。 

18年1月22日  集金  No.48
 町費を集めに行った。班が39軒あり一回では集めきれない。日曜日をめがけて行ったが、やはり留守があり夜又集金にいった。
集金にいって、気になった事がある。チャイムを鳴らしても返事をして出てきてくれた家の人が少ないこと。又ある家では娘さんが玄関に出てきたので町費の集金と告げると、(寒いので)と言い玄関の戸を目の前で閉めてしまった。
この態度には寒さもあり暗いし無性に腹がたった。
こんな事位で腹がたっようではだめだな、とおもいながら
人の振り見てわが振りなおせ  と自分自身に言い聞かせた。
18年1月18日  損害保険  No.47
 地震が活動期に入っている。阪神大震災は活動期の入り口だ。今は活動期で巨大地震が必ず来る。と言われている。保険の継続のハガキが来た。
(何時来るかわからないしやめよう)と決心していたのに結局継続してしまった。
意志が弱くてこまる。この保険地震以外にも保険金がでるそうな。
一昨年の台風で天井に穴が空き大工さんに来てもらった。それも保険金がおりたらしいのだが、保険のことなどてっきり忘れていた。領収書があっても請求できないとの事。これからは証拠となるように写真を必ず撮っておいて下さいと言われた。

ところで昨年9月兵庫県が大震災を教訓にして作り上げた保険を開始したのを
初めてしった。資料は郵便局にあるとの事
一年間の掛け金は5000円で地震の被害で最高600万出るとの事。
これは考えてみる価値あり。第一掛け金が安いと言うこと。
18年1月17日  体重  No.46
 3週間振りにリハビリに行った。気にしていた事がおこった。体重が増えたのである。運動もウオーキングも何もしないで食べるだけ。
これではいけないと思いながらも、体を動かすのが億劫で寒さの精にしている。
何をするにも継続しなければ、効果は出てこないこと分かっているが、一つの事をつづけるには根気と努力がいる。
リハビリをした後心地よい疲労感と、体が軽くなったような気分、血圧の下降 。
18年1月14日  宿泊  No.45
 ナナを連れて行くことが出来ず、ペットホテルへ一泊させる事になった。
このホテル新しく出来たばかりで、ホテルに泊まるには予防注射証明書が必要との事。家で食べてる餌を持参し、一泊させた。
夜迎えに行く。ものが言えないが全身で感情を表現させる。
犬の言葉があったら、(寂しかったよ、寂しかったよ、迎えに来てくれて嬉しいよ)
と言っているであろうと思う。
一泊4000円一時間200円の追加料金〆めて5000円なり。ナナのせいで
今夜も人間様のおかずは節約

18年1月13日 忘れてた No.44
 父の命日を忘れていた。気がつき心の中であやまった。お酒が入ると(子供には迷惑かけないから)が口癖だった。本当に父の言う通りになった。
若いころの父は鼻筋が通りきれいな父だった。朝起きると鏡の前で櫛にポマード付け73にわけていた。子供には厳しい面もあり父の言う事には皆素直に従った。母も若い時の写真はモダンで、先生、生徒は皆羽織袴下駄なのに、母だけはみつ編みでセーラ服スカートに革靴を履いている。戦争を境に両親の苦労が始まったようだ。
両親の御かげで人生の道筋をつけてもらい、人並みの生活が出来ていることに
感謝の気持ちで生きています。
18年1月10日 知らなかった  No.43
 コンビにに行くことなどめったにないが、宅配便を送ってもらうため立ち寄った。
なんとレジーのところに(年賀状あります)と書かれた文字が目に入った。年賀状は郵便局でないと売ってないものと思い込んでいたので(年賀状売ってるの)とおもわず店員さんに2度聞き返した。支払いなど出来ることは知っているが、硬い脳細胞は、次々と新しいことに直面しうろたえている。がくじけずに脳細胞を活性化させようと大人の計算ドリルを買ってきた。毎日鍛えなくちゃー
それとも3日坊主。
18年1月9日 スピード時代 No.42
 年末にうつした写真焼き増しが必要なためメモリーを持ってカメラ屋さんに行った。初めての事なので説明をたのんだところ(セルフサービスなのできちんと覚えて下さい)と言われた。コマーシャル等で簡単にプリント出来ますと言っていたので、その場で直ぐ印刷出来る物だと思っていたら2時間位かかるとの事。
(なーんだ、早くできる物だとおもっていたのにコマーシャルにだまされたかな)
と、いくらスピード時代といっても待つ間には出来ないと言う事がわかった。
18年1月2日 正月の記憶 No.41
 玄関の両脇には松の木がかざられていた。玄関の入り口と神棚には父が編んだ細長いしめ縄が張られていた。

元旦は暗いうちから家族全員が起きる(起こされる)父親が最初にする事は仏さんとそれぞれの神さんお荒神さん井戸の神さんにろうそくを燈しお祈りする。そして母親次が子供の順に拝むと決まっていた。
御祈りがすむと家族6人が丸いお膳を囲みお膳の周りに座る位置も決まっていた父親の(おめでとう)の言葉をききお神酒を子供も少しいただく。
その後にはおせちとあんこの入ったお雑煮を食べるのが普通だった。

正月の遊びは、すごろく、かるた、花札だった。
そしておやつはみかんだった。
物質的には貧しくとも(子どもが宝)と言う親のもとで楽しい思い出はたくさん残っている。
18年1月1日 早々に No.40
 元旦早々に田舎より宅配便が届いた。中には御餅、つるし柿、蕎麦、こんにゃく焼酎ずけしたしぶがき、うどんなど色々な物が入っている。
この食べ物は弟のお嫁さんの実家から送られてきた。嫁さんの実家は4人姉妹で皆嫁つがせている。娘にお正月の餅などを送る時同じように私の家にも私の姉の家にも送られてくる。大変有難いことだとおもっている。

○月○日 一年 No.39
 この一年を振り返り、職場からは去ったものの充実した年だった。
何よりも地域の人達と一緒に活動出来た事は、今までに経験した事のない喜びだった。楽しく心豊かに過ごせることができた。
健康で生かされ何かにつけ(有難いなー )とおもえる一年だった。
○月○日 クリスマスカード   038
 クリスマスイブの日HONORURUからクリスマスカードが届いた。
外国からのカードなんてはじめての事。第一知らない人の名前、だけどあて先は私
間違いない私宛やから、あけてみよう、クリスマスカードにはメッセージが添えられていた。
クリスマスカードはなんと教室の先生からだった。心が温かくなる言葉だった。
ありがとうハッピーなイブだった。
○月○日  発見  037
 寒くなりふと気ずいた事がある。勤務していた時は寒くなると踵がカサカサとなりひび割れしストッキングがすぐやぶれていた。ところがこの冬踵の皮膚がやわらかく
カサカサもなくひび割れもしてないではないか。これほどまでにも勤めていた時との違いを感じた事にびっくりしている今日この頃。
○月○日  やぶれ  036
 今年も残すところあと少しとなった。こう寒くなると障子の破れからの少しの風も寒く感じる。そこで本当は全部張り替えたいところだけれど、寒いし面倒(これが本音)なのでつぎはぎをする事にした。障子紙を花びらに切り破れた部分にはっていった。昔母が花びらの形に切って貼っていた。特に桜の花びらに切るのが上手だった。
今私が母と同じ事をしている。親のしていた事を子供は知らず知らすに覚えている。
これで正月準備OK
○月○日  ゆとり  035
 とにかく寒い。時間を気にすることなくゆっくり起きられる。
これほど幸せな事はないとつくづく思う。一日中時間に追われた生活からいっぺんし気持ちにゆとりができ、趣味に生きがいをみつけ、心豊かに過ごせる事ができ、まず健康でいられることがどれほど大切かこれ、感謝の日々なり。
○月○日  緊張 034
 コンサートがあった。何十年振りかで味わう舞台での緊張感。小学校の時は6年生まで独唱した。歌うことが大好きだった。演奏が終わり充実した気分にひたった。夜になっても余韻がのこりなかなかねっけなかった。
○月○日  散髪 033
 正月もちかくなりナナを散髪に連れて行った。手と足の爪をきってもらった。散髪代と別料金になるがしかたない。シャンプー後の臭いが良く毛がサラサラとして気持ちいい。家でシャンプーしてもいいにおいがしない。きっと美容院はいいシャンプーを使っているのだろうなー料金4000円なり。人間様のおかず今日はしまつしょうと話した。

○月○日  興味 032
 山に登った。落ち葉をふみしめ登る。なんとも気持ちが良く山のにおいをかぎながら、子供の頃をおもいだした。懐かしい感触がよみがえって来た。
頂上に立つと山全体が紅葉にそまりそれはそれは美しい。風に吹かれハラハラ舞い落ちる木の葉に光が当たり、きらきら光りながら舞い落ちていく様子には(きれいやな)と暫らく見とれていた。空木城跡にも行った。当地域に住んで23年余りになるが、ほとんど地域のことは知らずに過ごしてきた。これから地域の人たちとコミニケーションをとり、色々な事に興味を持ち挑戦しようとおもっている。 
○月○日  心 031
 ○さんの両親はすでにこの世を去っている。○さんと両親とはどう言ういきさつがあったかわからないが,実家に寄り付かなかった
その○さん自分の両親の看護はもちろん病院に見舞いにもいかなかった。
その○さんが今、夫の父親を引き取り世話されている。軽い認知症と癌を患っておられるがデーサービスには行かれる。だがその○さん(はよ癌がどっかえ転移したらええのに)と言う。えっと思わず声が出た。今迄色々な場面に遭遇してきたが、世の中には色々な人がいて、色々な考えや心を持った人がいる。人の姿をみて自分を見失わないようにしなければいけないと思った。
○月○日  予防注射 030
 寒くなってきた。こう寒くなると風邪がはやりだす。今年もインフルエンザの予防注射をしておこうとおもい病院にいった。注射をしたからと言って風邪をひかないともかぎらず罹っても軽くてすむだろうと言う思いで毎年受けている。3000円支払う。
○月○日  子育て中 029
 半年振りに孫に会いに行った。まだオシメは取れていない。言葉は通訳がいる。しぐさひとつとってもすることなすことが可愛い。自分の子育て中は無我夢中で過ごしてきた。今子供が親となり子育てしているのを見ると感慨深いものがある。8ヶ月の早産で生まれ医者から(命の保障はない、助かっても未熟児網膜症になる可能性がある、未熟児網膜症になっても病院の責任にしないでもらいたい,等)小学校にあがるまでは病院通いの連続だった。今は医療ミスがあると訴訟を起こして当たり前だと思うが、その当時は患者側は弱い立場、今も弱い立場に違いはないが、なにやかやで、あっと言う間に子育てが過ぎていった。その苦労をして育てた子供が今親となり子育てしている姿を見るにつけ、万物に感謝せずにはいられない。
○月○日  ボンゴ 028
 12月ふれあいコンサートがある。私はボンゴを叩く。叩けば音が出るものだと思っていたけれど、このボンゴ曲者でなかなかいい音が出ない。何度も叩いているとしまいには手が痛くなる。コツがあるようで先生が叩くといい音が出る。やはり何事もコツコツと少しづつ練習をしなくてはいけないようだ。
○月○日  紅葉 027
 家の周囲の山々が紅葉して美しい。あぜ道の草も赤く染まり美しい。毎年くりかえされる自然の営み。この自然にどれほど心が癒されれいるだろうかと思う。忙しく働きゆっくり自然と対話することもなく来たこの歳、今健康で生かされており有難いと思う。これから後半の人生を大切に生きたいと思わずにはいられない。

○月○日  保険がない 026
 ナナの様子がおかしい。4日位前からヌイグルミをくわえ、たえずクンクンとなく。下腹部が張り皮膚の色が濃いピンクいろをしている。金曜日黒色の下痢便をしている。今までにこんな便みたことがない。人間だったら直ぐ病院へ走り検査しなければいけない状態。朝起きると下腹部の皮膚の色がピンク色から薄い紫色にかわっているではないか(えらいことや、はよ病院に連れていこう、死んでしまう)直ぐ病院に行き診察をうける。触診、、レントゲン2方向、検便、診察の結果 1 想像妊娠とのこと 発情期過ぎ1ヶ月ぐらいは、このような症状がある 2 ガスが少したまっている。3 便が黒いのは自分の毛やぬいぐるみの毛が口から入り、その毛によって腸が刺激され出血したのでしょう。下痢止めと栄養管理の為に、科学的に配合された特別療法食が処方された。人間さまと違い保険がない。治療費5930円なり。お父さんの散髪代が消えた。人間様には暫らく辛抱してもらおう。薬と栄養食を混ぜると臭いをかぎ(いらーん)という顔で食べようとしない。高いお金払ったのに。犬にまで想像妊娠が有るなんて知らなかった。一つ賢くなった。
○月○日  史跡 025
 国史跡指定の赤松氏城跡(置塩城跡)を郷土史家の先生と講座を聞きに行っている人たちと、ハイキングを兼ね書写山より少し高く一寸険しい山城跡に登った。放射線状に広がる城郭跡で、竹田城跡とこの置塩城跡が中世の山城跡としては、超一級のものと言われているそうです。置塩城は(藤丸城)とも言われていたそうで、昔は藤の花が沢山あった所から、そう呼ばれていたとの事。登山道を登ると一番最初にたどり着いたところは茶室跡、案内板に沿って三の丸、台所跡、二の丸、本丸跡を説明を聞きながらあるく。本丸跡に立つと、遠くに
瀬戸内海が見渡せる。赤松五代目城主が羽柴秀吉に屈服するまでの108年間ここに城があった。屈服した後、置塩城を解体し、姫路城に資材を提供したそうです。説明を聞き昔の人の生き方は厳しいものがあったことを、思い知らされ、今の世に生まれた幸せを、有難いと思った。
○月○日  86番〜遍路路 024
 四国86番志度寺に、御参りした。広い境内の土塀が崩れている。昨年の台風でそのあたりは被害が強かったようだ。まだ手ずかずで、くずれたままの状態である。本堂に入った。巡礼の人が唱える般若心経の声が心地よい響きで伝わってくる。子供の頃お遍路さんは各家をご詠歌をあげながら訪ね、首からぶら下げている、白い袋にお米を入れてもらい巡礼していた。 お参りも今では自動車。それでも時々歩いている人をみかける。私も歩いて88カ所回りたいと思ってはいるのだけれど、若くはないけれど物騒な世の中だから、連れがないといけない。87番長尾寺から88番大窪寺に行く途中前山と言うところに道の駅がある。道の駅の前には、遍路資料館がある。遍路資料館のすぐ横には前山ダムがあり、小学校や家が沈んだ。道の駅から300メータ位行った所に新しい供養等が建てられている。この供養等は88カ所を満願できなかった人々の為に、88番の鐘の音が聞こえるであろうカ所に建立されている。建立にたずさわったその中には波盤神社の宮司さんもおられる。この宮司さんとの出会いは安産祈願に訪れたとき知り合った。人の縁ってどこにあるかわからないとつくづく思った。
○月○日  初体験 023
 故郷に帰った折、119円と書いてあるガソリンスタンドが、目に飛び込んできた。早速車を止めたが、だれもでてこない。良く見るとセルフサービスの店せではないか。車には乗っているが自分で入れたことはない。こまった、どうしょう、ほかにいこかと迷った。現金の入れ方等をみていたら、中から若い店員さんが出てきて、操作の仕方を教えてくれた。何とか満タンにした。店員さんに(初体験よ)と言うと、ふふふと笑っていた。

○月○日  故郷の祭り 022
 40数年振りに田舎のお祭りを見に帰った。懐かしい小学校の校庭に、自動車をとめる。
小学校も今では鉄筋に建て替えられ昔の面影はまったくない。
校庭の隅の銀杏の木は昔のままだった。昔、銀杏の木のそばに、ブランコがあった。ブランコを高くこぎ、スカートに風が入り膨らむのがおもしろかった。
小学校横の谷川にかかる小さな小さな橋を渡ると、お宮に通じる階段がある。階段を上り始めると、鐘と太鼓の音がきこえてきた。
鐘の音は(真部)さんと言う家の庭からきこえてきていた。お宮に入る前に各家庭を回り獅子舞を披露してから、お宮に入るのが昔からの風習だった。
鐘と太鼓の音にあわせ、きょうくちが、獅子が、舞い踊っている。
きょうくちは、小学校低学年の男の子ときまっている。男の子にお化粧をし、振袖を着て袴をはき白足袋姿で踊る姿はとてもかわいい。子供の頃このきょうくちになりたくて、仕方がなかった。暫らくその踊りをみてから、お宮にあがった。
階段の両脇は、うっそうとした森が広がっている。階段を上りつめたところが広場である。広場にはお店がところせましと並んでいたが、今は見る面影もない。広場からやや下がったところに、小さい広場があり、そこには土俵が作られていた。
昔は子供相撲が行われていた。今は土俵のみだった。土俵を見てから、お宮の前にたち、おがんだ。宮司さんの祝詞が終わると、各地区の獅子が舞い踊る。お祭りもだんだん寂れている。若い人がいなく故郷も過疎化が進んでいる。
長い時間お祭りを見ていたが、心の中はなぜか寂しく、切なく、懐かしく、去りがたかった。故郷の山にむかい(来年もくるからね)と叫んだ。
歳がいくにつれ田舎が恋しい。両親のお墓参りをした。
 ○月○日  最先端 021
 癌 最先端治療セミナーを聞く機会があった。
身近な所に、兵庫県立粒子センターがある。その医療センターの院長菱川良夫先生の講演を、聴くことが出来た{映像も交え} 先生いわく{従来、癌治療は、局所には手術、全身的には化学療法が中心だった。粒子線治療は、放射線治療の一種で、放射線治療の特徴である体に優しい治療法。しかも、癌に対して集中的に照射できる特徴から、手術と同様の根治性がある}といわれる。センターの治療方針は、癌の種類によってより効果が期待できるとの事。しかし癌の種類により治療できないものもある。
粒子線治療とは
粒子線とは電子、水素イオン(陽子)炭素イオン、中性子などの粒子の流れで、電子線、
陽子線、炭素線、中性子線等があり、そのうち特に陽子線と炭素イオン線を用いた治療を
(粒子線治療)と呼んでいるそうです。
粒子線治療の特徴
粒子線は、ある深さにおいて放射線量がピークななる特性をもつ。
癌病巣より深いところには達しないので、正常な組織には照射されないようです。
一般的条件としては
本人が病名や病状や他の治療法の選択肢についても告知されている事、自分の意思で粒子線治療を受ける事に同意することが必要との事。
治療費は約300万円 2,883,000円は全額自己負担 
全身状態としては、主要臓器の機能が保たれており、粒子線治療の為に必要な時間(30)分仰向けでじっとしている事が必要。
検査、入院等については健康保険が適用される。等 等
病気の怖さを知ってはいるが、これだけ高い治療費がいると、病気になっても満足な治療
が受けられないような気がする。健康って有難いとおもう。感謝しなくては。

○月○日  人任せ 020
 新聞を読んでたら常日頃の掃除も人任せにしている。霞が関に勤務する国家公務員の女性で夫も省庁に勤とめ共働きをしている。子供は夫の両親に預かってもらっている。
1人子の相手をするのは週末だけなのに、1週間分のたまった家事を片付けるだけで、半日がつぶれるのがせつない。
そこで家事代行サービスを利用するようになった。女性官僚が家政婦の力をかりて、仕事と家庭を両立させている事は霞が関の常識だそうな。それから
3年今では{自分で掃除をする生活にはもう戻れない}と言っている。共働きをしてきた我が家を振り返り、時間に追い回され、無我夢中で勤務と子育てをしてき。家事代行サービスなどを利用するなど思いもつかない事。もちろん代行サービスと言うようなものはなかった。掃除洗濯を人に任せ、家庭での親の姿を子供はどのように見て、成長していくのだろうかと、人事ながら気になるのは私だけではないと思う。
○月○日  古文書 019
 探史研究会の方より、機関誌『北播磨探史研究 第2号』が発刊となり送っきて下さった。
北播磨その他近郷の知られざる歴史を発掘することにより、地方史の向上発展に努めておられる方々である。3年前突然見ず知らずの人から電話 内容は{私の先祖に蘭学を学び医者になった人がいる。その蘭方医の子孫の方々が健在なのをなにより嬉しく思います。まだ自筆の書状が発見されておらず子孫の方に人柄等が伝承されていないだろうか、書状等が残っていないだろうか}と言うような事だった。母から医者をしていた人がいたようだと言う事は聞いてはいたが、なんせ昔のことゆえ私達にはわからない。それ以後系図やら過去帳又実家の仏壇等を調べたが、古文書のような物はでてこなかった。が先生方の研究により少しづつ色々なことがわかり
{次回第3号で書状の紹介と解説を試みる予定にしております}と、お便り頂だいた。このような事がありじっくり系図を見てみたが難しい。がロマンがあって楽しい。
又次回の出版を楽しみに待ちたいと思う。
○月○日  久しぶりに 018
 久しぶりにJRにのった。家から最寄りの駅は6キロ位ある。早朝のバスがない為送って
もらった。単線で駅員さんはいない。AM7.20〜PM8.00の間はおられるようだ。窓口はシャッターがおろされている。自販機でキップを買い、駅員さんがいないので勝手に改札口をとおる。2両で入ってきた。2両目で待っているとドアが開かない。急いで1両目にいった。
ドアが閉まると車内放送で(2両目のドアは開きません、おおりの方は1両目にお越しください)と、放送している。車内は静かである。携帯を見ている、イヤホンをつけてる、目を閉じてる、辞書をひろげている等さまざま。朝早いのにもかかわらず通勤通学で車内は一杯
女子高生の前にたった。高校生のブラウスのボタンガはずれている。わざとはずしているの
だろうなーと思った。危ないなーそれともそれぐらい当たり前あんたは古いのよー
と、聞こえてくるようでもある。時々JRにも乗って社会勉強しなくちゃ

○月○日  もくもくと 017
 家の周囲は田んぼが広がっているおり、もうどの田んぼも稲刈りはすんでいる。
田んぼの中に通っている道は舗装され歩くのには持って来いの所である。私を
含め中年の人が良く歩いている。が皆すれちがってもだまったまま通りすぎる人が多い。
私知らない人だけれど{今日は}と声をかけるようにしている。ただ黙々と歩くより一寸した
事で、人と人が近ずけられるように思う。
○月○日  当たった 016
 郵便局に支払いに行った。かもめーるの当選番号の書かれた紙を持ち帰った。
調べてみると何と{夏のおたより賞}が当たっている。賞品は地域の特産品小包み1個
と書かれてある。嬉しいな嬉しいな何がくるのだろうか。楽しみ。
○月○日  老人と 015
 ウオーキング中背中の曲がったおばちゃんが畑仕事を終え草むらに座っている。
夕方だったので{もうしまいましょうか}と声をかけた。「家でおっても若い者に気を使うから
ぼつぼつやけど畑にきて草でも引いてたほうが楽なんや}と言われる。
年老いた人をみると亡き自分の親と近い年だろうなとついおもってしまう。老いは皆平等に
訪れが老いてからの苦労は耐えがたいようにおもう。
おばあちゃんが気苦労なく幸せであってほしいと思わずにはいられない。
○月○日  夜中に 014
 5日ほど前から又鹿の鳴き声がきこえてくるようになった。鳴き声をきくようになった
のは5年ぐらい前とおもう。聞き覚えのない声なので最初は夜中に何の鳥が鳴いて
いるのだろうと思った。{夜中に鳴く鳥っているのかなー}とぐらいにしかおもっていなかった。最近では鹿の被害とかで電線が引かれている。仕事から夜中に帰る時鹿と出くわしたこと
が数回ある。山が削られ山が寸断され施設が建ち住宅が並び、鹿は道路を行き来しないと山にはいれなくなっている。
動物の住む場所が狭められている事を実感せずにはいられない。
○月○日  産業廃棄 013
 家の目の前の山に産業廃棄処分場がある。段々と山が削られ山のすそ野は緑がなく
なり土がむき出しになっている。 ダンプカーやブルがせわしなく動きまわっており、ブルが
動くとキシキシと音が家まできこえてくる。風の強い日には砂煙が立つこともある。
その下にはため池があり水を引き田植えをする。 
豊島のような事はないとおもうけれど大変不安である。
○月○日  清掃 012
 秋祭り前の一斉掃除。家の前は川。川とはいっても幅5メートル位の小さい川。普段は
あまり水が流れてないが、一雨降ると山からの水で川らしく変身する。
家から下100メータ位離れたところに農業用水のため池があり川に水がたえず流れて
おり、今年も蛍がみられた。まだ自然が少し残っている。有りがたいなーと思う。 

○月○日  エコー 011
 お嫁さんよりベビーのエコー写真が送られてきた。白黒のエコーか見たことなかっ
たので送られてきた写真を見てびっくり。
エコーは画像全体が薄茶色で、白黒と比べるとベビーの姿が鮮明に
写っているのにはおどろいた。そういえば30年ほど前タバコをすう妊婦さんに、タバコを
吸った時胎盤にいく血液の量が減る事、赤ちゃんにいく血液の量が少なくなる、それほど
タバコは妊婦さんにとり(害)であると言う事を知ってもらうために、お腹に
機械(血液の流れ)を装着した事を思い出した。医学の進歩はめざましいなーとおもう。
○月○日  腹帯 010
 ベビーが生まれる。神社にお札を返しに行き又安産のご祈祷をうける。順調に育ち
無事に生まれることを心から祈らずにはいられない。 
○月○日  写真 009
 長男夫婦から台紙つきの写真が送られてきた。もちろん可愛い孫の写真である。
5ヶ月ぶりに見る孫の顔は少し大人びて見える。写真を見ているとなぜかぞくぞくとした
嬉しさがこみ上げてくる。なぜだろうか?
夜電話をかけ声をきく。それだけで満足満足。
○月○日  歌声きっさ 008
 今回は{芸術の秋}と題しまして(写真と水彩画)(入選作)の作品を展示した部屋で、
初秋の昼下がり素敵な仲間と{音楽の秋}を楽しむことが出来ました。全員で「秋の歌}と題し、里の秋 小さい秋みつけた  どんぐりころころ こおろぎ つき もみじ 真っ赤な秋 旅愁などを歌い、そしてオカリナ演奏 トーンチャイム 尺八演奏 尺八演奏の生を聴くのは初めてで感激した。
首ふり3年と言うそうだけど音の出し方が難しそう。日本古来の邦楽を生で聴くくことが
でき大変よかった。良い日なり良い日なり。
○月○日  木漏れ日の森 007
 家の近くにハイキングにいける山があってもなかなか行く機会がなかった。がヤット行け
るようになり出かけた。木々の間から光がさし本当に木漏れ日の森だなとおもった。
若い時から山が好きで(田舎で育つていながらなんでそんなに山が好きなんや)と言う両親の事を思いだした。これから時間が有り余るので体力作りには(もってこい)だと思い、こんな近くに良い山があり嬉しくもあり、有り難いとおもった。チョクチョク登るぞ。
○月○日  万歩計 006
 仕事をやめてから歩く回数がめっきり減った。人間足から萎えるというではないか。
いったい一日どれぐらい歩いているのか確かめてみょうと思い、万歩計をつけてみた。
何と3000歩あるいていないではないか。これではいけないと思い歩けない日の為に歩行マシーンを買った
それが病院のと違い大変歩きずらい。早まった事をしてしまった。

○月○日  生命保険 005
 マネー講座(自分の保険を徹底見直し)
申し込みをして講座を聞きに行った。社会労務士の方から話を聞く。 @初めに生命保険に関するデータ A生命保険の種類としくみ B保険証券のみかた C保険の見直しに挑戦これからが本当に保険が必要になってくるのに若いときにに高い特約をつけすぎていたように思う。
結局10年で特約の見直しをしなければならず、若いときの保障でいこうとすると年齢が
高くなる分支払う保険料が高くなるわけである。給料が入らないのにである。
本当に必要な保険とは終身保険と医療保険だとおもう。早いうちに見直しをしょうとおもっている
○月○日  1クール終了 004
 
1クール目のリハビリが終わったので、筋力測定を受ける。少しではあるが全体に筋力アップしている。アップしたぶんマシーンの力が増強される。頑張るぞ。
○月○日 003
  リハビリで昨日は疲れた。早く休んだ為朝早くに目が覚めたので久しぶりに、ウオーキングに出かけた。万歩計を付け約1時間あるいた。朝早く歩くのは気持ちがいい。4〜5人の人に出会った。なるだけ大きな声で{おはようございます}と挨拶した。6時のチャイムが鳴る。家に帰り昨日の雨で木の葉が落ちているのをはき集めていたら同居人が{今日どこかえいくん}と言う。早く起きたのとウオーキングで疲れ昼はウトウト夕方もウトウト、何せしらさぎ姫だもの。
○月○日 002
 パワーリハビリ1回目。体重測定と運動前の血圧測定140〜90、自転車こぎの有酸素運動する前に心拍計を耳につける。こぐ速度により心拍数が変わるのがわかる。7分こぐと両大腿部の内側がだるい。いかに運動不足かと言う事が良くわかる。自転車こぎの後数分椅子に座り、ストレッチをする。さあ、いまからマシーンを使って運動するぞ。すべての運動が終わると再度血圧測定を受ける。後130〜90と運動の後はほとんどの人が前より下がっている。その後腰のけい引と干渉波を受けた。約1時間かかった。

○月○日 001
 4月頃から腰からお尻にかけて針で刺すような痛みが時々出てくるようになった。特に左のお尻中央あたり。寝返りを打った時がいたい。診察受けようと思いながら日は過ぎていった。
やっと診察を受ける。レントゲンMRIの結果{第5腰椎がずれているし磨り減っている。その為神経を圧迫して痛みが出るのだろう。手術する方法もある、コルセットを装着するのも良いと思う}と説明を受ける。手術と聞き内心びっくりした。が今手術を受ける気にはなれない。変形は悪化することはあっても良くなる事はないので、今の状態を悪化させないようにするため、予防策をとることにする。今の状態にはパワーリハビリが適切との事。トレーナによる問診と筋力測定を受けマシーンの操作方法を聞く。測定の結果でマシーンの強さが決まる。メニューにそって週2回で8回が1クール。8回が終わると筋力測定を受け、どれ位の筋力アップがあったか調べ2クール目に入る。筋力アップを楽しみに励もうと自分に言い聞かせた。